世の中を知るためにはどうすれば良いのか?意外な経験が自分を成長させてくれる4つの理由

 

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1983年生まれ、片田舎の町でごくごく普通の生活を過ごしてきた男。 幼少期から色恋沙汰に恵まれ、良くも悪くも恋愛にのめり込んできた人生だが、32歳で離婚を経験、その後の失恋続きで自分の生き方や人生を大きく見つめ直す事になる。 「人生しくじったダメ男が恋愛と自分磨きを通じて成長していく」ことを立証するため、また悩める人へ力を届けたいとの思いからこのサイトを開設。 第二の人生を模索しながら日々ブログを更新している中年若輩者。

こんにちは、夢見屋です。

今回のテーマは些細な体験についてです。こうしてブログを書いたりしていると「普段の生活や何気ない暮らしでは気づいたり考えたりしない」事に気が付けるようになります。

ホント不思議なもので、学びって言うのは単純にお金になる事とか、自分にすぐ実利のある事だけじゃ全くもってないんだなぁと実感しますね。

少し考えさせられたのでシェアさせて頂きますね。

とある日に偶然見つけた施設

このブログを書くきっかけになったのが、とある県で偶然見つけた施設。

仕事の顧客との打合せまでに時間があったので、万能googleマップさんで最寄りの喫茶店を探していたら、たまたま近くにカフェテラスがあったのでそこに向かう事に。

最近の携帯アプリってホントに便利なものですよね、お店の情報や写真、口コミや開店時間なんかも一発で分かっちゃいますから。

 

ただその顧客がある地域には何度か来ていましたが、そんな場所にあるとは全く気が付かず、とりあえずその場所めがけて車を走らせていると、どんどん森の中へ……

 

こんなところにホントに喫茶店があるんかいな?と森に入って進むこと数分、何やら大きくて古めかしい建物が見えてくるではありませんか。

「田舎だからこんな山奥に学校でもあるのか」

なんて思って進んで行くと、見えてきたのはどうも何かの施設っぽい。

 

「あちゃ~、なんか道間違えちゃったんかな~」

確かに自分の位置はお店の場所を指してる……しかも道は一本でその施設への入口へ通じてる様子。

 

「どう見てもこんなとこに喫茶店がある様には見えんな……しょうがない、引き返して別の場所に向かうか」

 

門に入ってUターンしようとしたとき掛札が見えた。

 

”〇〇県知的障害者厚生施設・自立就労センター”

 

 

「……ちょっと来る場所を間違っちゃったのかな………」

「でもせっかく来たし、向こうに喫茶店ぽい看板もあるし行ってみるか」

 

中へ入ると窓越しに人影が多数。そこには青年らしき男女と40代の様に見える人たちが騒いでいました。

一見すると保育園の様なたたずまいですが、間違いない、ここは知的障害を抱えた人たちが生活して働いている養護施設なんだと分かりました。

 

僕自身今までこういう施設なんて来たことも無かったし、正直障害者という言葉に対してそんなに興味がありませんでした。

でもなんだろう、何故か自分の中で少し”イヤな感情”が巻き起こったんです。

 

「うわ、障害者か……」

 

この言葉が頭の中に浮かんだ次の瞬間、僕は自分自身がちょっと恥ずかしくなりました。

多分この感覚が自分自身の本音なんだと思います。

知的障害とか貧困とかに対してどれだけキレイな言葉を表面上言い繕っても、本心は隠せない。自分自身の精神的な未熟さに呆れた瞬間でした。

 

そんな心の中の発見もあって、恐らくその知的障害の方が運営しているのであろう喫茶店に入ってみる事に。

 

中に他のお客はおらず、可愛い女性店員の方が出迎えてくれました。それと料理を作るのを手伝っているであろう障害者の方が働いていました。

注文はアイスコーヒーと、おススメとあるシフォンケーキを迷わずチョイス。多分障害者の方が一緒に作ってくれているんだと思います。出てきたケーキの味はしっとり甘く、それでいてどこか懐かしい、優しい味がするものでした。

 

そうこうしている内に施設の方?なのかたくさんお店に集まってきました。

飾りのない表現をしてしまえば、”呂律のまわっていない、明らかに知的な部分で障害を抱えている人達の捉えどころのない会話”が騒々しく繰り返されていた”、という事になるでしょうか。

 

そんな中、僕は頭に浮かんでくる感覚を全て体に叩き込みました。何も加工せずただ純粋に。

 

「ここの人たちはどうやって暮らしてるんだろう」

「家族はどうしているんだろう」

「正常に見える人も障害者?」

「就労って言ってもそんなに経営ってうまくいくのかな?」

「なんかこっち見てきてるけど何か言いたいのかな」

「かわいそうって思うことは失礼だったりするのかな」

「そういえば昔家なき子ってドラマでもこういう施設が出てきたな」

「あ、自分がそうならなくて良かったと今思った。」

「子供が障害を持って生まれてきたりしたら、ちょっとヤダなとか思っちゃうんかなぁ…」

 

 

時間にして多分40分くらいか、ひたすら自分の中に沸いてきた言葉を客観的に見つめていました。

そうこうしてたらもう打合せの時間になってしまったため、特に何か結論を出すわけでもなく僕はそのお店を跡にしました。年配の男性が子供の様にはしゃいでいるのが見える建物を尻目に…。

 

お会計の際、店員さんに「ケーキ美味しかったです、ありがとうございます」って伝えた時、とても嬉しそうな顔をしてくれたのを覚えています。その横でちょっぴり不愛想な顔をした障害者の方の口元が緩んだことも。

 

この1時間ちょっとの体験で自分が何を感じたのか、自分なりの考え方とか見え方とか、カッコいい表現が出来る言葉は今もありません。

 

ただ、この施設に入った時に感じた感覚だけは、僕は違うと思った。良いとか悪いとかじゃなく、自分自身の価値観として相応しい考えじゃないと思ったから。

だからお店に入って、実際に障害者の方を見て、実態を知ろうとしたんだと思います。

 

一つ改めて分かった事、それは僕がタイに行った時もそうでしたが、

 

「どんな生まれの人、どんな国の人でも笑顔という幸せは宇宙共通である」

 

ってこと。

この当たり前に思える真実を心から実感した体験でした。

意外な出会いから世の中を知る経験を考える

今回の経験から考えさせられたこと、この機会は本当に偶然でした。意外な出会いとも言えます。

こういう意外な出会いから学べることはホントに貴重なんですね。

 

東南アジアの貧困の国を実際に見る事はないかもしれません、ですがその国出身の人と日本で出会う事はありえますし、行きたくなるきっかけはいくらでもあります。

 

自分が何を考えるか、何を学ぶかは自分の経験からしか発生しません。ちょっとまじめな言い方になってしまいますが、意外な出会いや発見があった時、その機会から何を学んで成長出来るかが大切です。その出来事は悲しいかもしれない、辛い現実なのかもしれない、それでもあなたの身になる事は考え方次第でいくらでもあります。

 

それまであなたが持っていた価値観が薄っぺらいものだったと思わされることもあるでしょう、そう思える発見があなたを育ててくれます。

テレビに出ている世界が全てじゃない

僕たちの常識は、自分たちが目にしたもの、耳にしたものなど、五感を通して感じてきたことでしか出来上がりません。つまりそれ以外の常識は自分にとって常識じゃないんですね。

日本は先進国だから、テレビやネットを通じて様々な情報が入ってきます。もういくらでもってくらい、調べられないことはないといっても良いでしょう。

 

でもその情報が正しいかどうかはまた別です、そしてあなた自身が信じた内容があなたのイメージと同じかどうかもまた、別なのです。

「百聞は一見に如かず」というのはまさしくその通りだと思いますが、あなたが知りたいと思った事は”実際そこに行くのが一番の道”なのです。

 

僕は今家にテレビがありません(笑)

なぜかというと、自分で体験しない情報で先入観を植え付けたくないからです。先入観はいらぬ偏見を生みます。僕の今回の体験が良い証拠です。ホント、情報にあぶれるという事の怖さを痛感しましたね。情報操作っていうのも本当に恐ろしいものだと思いました。

極論すれば、この記事だって正解や真実とは限らないってことです。

普段何気なく見ているテレビやネットのサイトから得た情報は、自分自身で責任をもって真実必要があるでしょう。

 

人は臭いものや後ろめたいものにはフタをしたくなるものです

人は他人の不幸を喜びたくなるようなネタを売りたくなるものです

人は不満のはけ口を煽る様なスキャンダルを好むものです

人は神に祈りながら神を信じないものです

 

自分の五感で体験したことが、今の現実世界では最も確実な方法だという事を覚えておいてください。

自分の偏見は自分の目で確かめろ

今回の僕の経験もそうでしたが、自分の偏見は自分で確かめる事が大事です。

障害を持つ人が本当に不幸せなのか?

お金がないことが本当に不幸なことなのか?

友達がいないことが本当に寂しいことなのか?

 

凝り固まった偏見をなくすには自分自身で行動することが一番です。

実際にその目で確かめてみてください。

怖いと思っていたことが全然大したことなかったり、恥ずかしいと感じていたことが逆に羨望の対象だったりするものです。あなたの価値観はあなた自身の意識が作っているのですから。

そこで新たな発見があるでしょう。

いつもと違うところへ行ってみる

家と会社の往復だけの生活なのならたまには違う道から帰ってみるもよし、毎年恒例の家族旅行があるのならたまには奮発して海外に行ってもよし、いつも同じ人とランチをしているのならたまには違う人を誘ってみてもよし、そんな「いつもと違う行動」が思わぬ経験や体験をさせてくれるものです。

 

人は無意識に安定を望むものですから、放っておいたら安全(今の生活)を繰り返すだけです。

 

ちょっとした別の道があなたを大きく成長させてくれるかもしれません。何気ない行動があなたの人生を素晴らしいものに変えてくれるかもしれません。

 

それらは全てあなたのちょっとした好奇心や一歩を踏み出す勇気から生まれます

 

歳を食ったら食っただけ、人の価値観や常識は凝り固まってきます。そしてみなさん意固地になるのです(笑)

今さら生き方を変えれるものか!とね。

 

今回色メガネを外して体験してみて、初めて分かりました。自分の思い込みやちっぽけな価値観がどれだけ自分の人生を小さくしてしまっているかを。

 

キレイごとですが、全ては学びからです。謙虚な姿勢で吸収する姿が人生を豊かにしてくれるのです。

 

思い切って違う道を一度通ってみませんか?

自分の見聞きした体験はほんの一部の情報でしかない

よく年配の方から言われることがあります。

「君が体験して知ったつもりでいる事は、実は世の中の情報のほんの一部でしかないんだよ」と。

さすがは伊達に年食ってるわけじゃないなと思いますが(笑)

 

 

なぜあの施設が山の中にあったのか?

 

なぜあのシフォンケーキが300円そこそこで提供できるのか?

 

なぜ民間の運営ではないのか?

 

本当に色んな事を勉強させてくれますねこの世界は。

あの後僕も帰って障害者について色々調べてみました。もちろん、それら情報も真実とは限りません、ですが実際に体験している僕にとっては色んな辻褄が合うんです。だからそこで初めて自分自身の答えを出し直す事が出来るんですよね。

 

自分で体験してみて初めて本当の経験として蓄える事ができるという事を忘れないでください。

僕が思った事も、恥ずかしいと感じた感情も、全て体験からです。雑誌やテレビからの情報じゃありません。

自分一人がたかだか数十年で知り得てきた情報なんてものは大した量じゃないんです。

 

その道の専門家がいたり、ある特定の分野に月日を費やしてきた人がいるからこそ、そんな人たちが発信し残してきた知見があるからこそ人は加速度的に発展することが出来るのです。

そのきっかけとなるのが自分自身の体験ですよね。体験して偏見を払しょくし、新たに学び直す事が出来るのは先人達の経験のおかげです。

まとめ:体験から何を行動するか?

今回なかなかコアな記事となってしまいましたが、これも誰かの心に響くものがあればと綴らせてもらいました。

 

人それぞれ多くの体験をするでしょうが、その中から何を学ぶかが本当に大切です。

僕も様々な体験をしてきました、ですがその多くは脳の表面で片付けてしまっていたんです。

 

つまり体験した出来事を取るに足らない自分のちっぽけな先入観で処理しちゃってたんですよね。

啓発的な出来事が起きても、「それはあの人だからできた事だ」とか「偶然なんでしょ」とかって(笑)

遠い国の貧困や戦争を聞いて「ここは日本だからさ」って言うのと同じです。

 

自分自身にとって大切なのは「自分はどんな行動をするのか」ということ。これもうはっきりとそうです。

新たな学びを得たのなら、それをこれからの自分の人生の行動に活かしていかなければなりません。

 

災害が起きたのなら募金をする、目が見えない人がどれ程大変かという事が分かったのならそんな人を見かけた時躊躇せず手を差し伸べる。

周りから見たらただの偽善でしょう、この記事も詭弁だと言われるかもしれません。それでも、ただのキレイごとを行動に移せるのは、意外な出会いや意外な発見を通したあなた自身の体感だけなのです。

 

映像や活字を眺めたただけでは決して体得できないものだからこそ、ひょんな出会いを大切にする心を養ってみてください。

どんな些細な経験からも、学ぶべきことは必ずあります。

 

この僕が感じたように、多くの人が気付かない内に色んな経験をしているんです。ただそこで何かを感じる事が出来るかどうかだけの話ってことです。

この写真のアクセサリー、あの施設の方達がおそらく就労活動の一つとして作っているであろうものです。施設の運営資金を集めるためにも行っているのでしょう。

 

言い方は悪いですが、このストラップがたかだか500円程度です。毎日何十個も売れているわけではありません……

でも僕が今出来る事は、このストラップを500円で買って、施設の運用資金に充ててもらう様にすることだけです。

 

そしてもう一つ、「自分自身が経験から学んだことを小さな行動に移すことの大切さを忘れない様にする」ためのアイテムとしてです。

 

“自分にはまだ出来ることがある”

”人は誰かを笑顔にすることで自己実現できる”

 

これらを忘れないため。

そう、キレイごとかもしれません。

でもキレイごとだからこそ、キレイに保とうとしなくてどうしますか!

 

蔑んだり罵ったりすることは誰にだって簡単にできる。

否定して、悪態つくことなんてすぐにできる。

 

でも自分で体験して気づいた事は、自分自身で変えられる。きれいなコトであればあるだけ、維持しようとするのは難しいもんです。

 

この記事がどれほどの人に読まれるは分かりませんが、ぜひあなた自身の人生を豊かに笑顔溢れるものにするために小さな行動から初めてみてください。

そして小さな先入観に縛られることなく、様々な世界を知ってみてください。きっと、多くの学びを得られるでしょう。

世の中を知るのには、実はそいつが一番の近道なんです。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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1983年生まれ、片田舎の町でごくごく普通の生活を過ごしてきた男。 幼少期から色恋沙汰に恵まれ、良くも悪くも恋愛にのめり込んできた人生だが、32歳で離婚を経験、その後の失恋続きで自分の生き方や人生を大きく見つめ直す事になる。 「人生しくじったダメ男が恋愛と自分磨きを通じて成長していく」ことを立証するため、また悩める人へ力を届けたいとの思いからこのサイトを開設。 第二の人生を模索しながら日々ブログを更新している中年若輩者。
 

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